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文鳥から学んだ「幸せ」

文鳥×マインドフルネス

カノンを迎えてから、私はとても幸せを感じられるようになりました。

私がカノンから学び気付いた「幸せ」とは、どんなものだったのか。今回は、「文鳥から学んだ幸せ」について書いてみようと思います。

うちの子は幸せ?

ペットと暮らす人であれば、「うちの子は幸せだろうか」と、一度は考える人も多いのではないでしょうか。

時々私もカノンを見つめながら、この子は幸せだろうか?と思うことがありました。

人間と暮らすことで、外敵から狙われる危険性はなく、暑さ寒さに耐えることもなく、飢えに苦しむこともありませんが、生まれ持ったその翼で、風を切って大空の下を飛ぶことを知らず、私はこの子の自由を奪って、「人間目線で勝手に幸せにしてあげてる気になってるだけ」なのではないかと思うことがありました。カノンを大切に思うほど、時折そんな思いがふと沸き起こったのです。

しかし、カノンは私のそんな思いをよそに、とても呑気でマイペースであり、怒ることはあってもストレスがあるようには見えません。私の勘違いでなければ…。

それはなぜなのか・・・私はカノンと暮らしているうちにその理由が分かり、カノンは幸せだと確信すら持てるようになりました。

朝起きて「おはよう」と言う

カノンとの日々は、毎日同じことの繰り返しです。

カノンの体内時計は正確で、毎朝同じ時間にカバーをかけたままの暗い竹かごの中から、鳴いて私を起こします。私の都合で時々、いつもより早く起きる日は当然鳴かないし、雨の朝も、人間同様によく眠れるのか、寝ていて鳴かない日もあります。

毎日同じようにカノンに起こされているから、朝、鳴き声がしないと不安になります。

大丈夫だろうか…生きていてくれてるだろうか?不安を押し殺してカバーを開けようとすると中から「ピッ!」と聞こえ、安心します。

いつからか、毎朝の「おはよう」がとても幸せに感じられるようになりました。

ある時から、この毎日の積み重ねが当たり前ではないということを実感し、「今日も生きている」という奇跡を感じるようになり、一気に幸福感が高まりました。

それはカノンを迎える前、毎朝カーテンを開けながらため息をつき、鉛を背負ったような憂鬱で絶望的な気持ちだった時とはまったく違う朝でした。

限りある時間

文鳥の寿命は、7~8年ほどと言われています。私はカノンを迎えてからずっと考えていることがあります。

「カノンの1日は、私の10倍楽しくあってほしい」と。

カノンは、人間より約10倍の速さで年を取ります。あっという間に私を追い越してしまう。

1日1日がとても惜しいです。カノンの誕生日がくるたび、嬉しくて同時に涙が出てきます。あと何日、このように一緒に暮らせるのかな・・・あと何回「おはよう」と言えるのかな。

夜、カノンを寝かせると、今日が終わったという名残惜しさとともに、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。砂時計がサラサラと音もなく落ちて消えていくような、そんな時間の流れを感じて切なくなります。

しかし、それはカノンだけではありません。私の時間も同様に流れ、限りがあるのです。命あるものはみな、生まれた時にひっくり返した自分の砂時計を終わるまで止めることはできません。

当たり前ですが、命あるものの致死率は100%です。必ず、その日は来ます。

ふと、私の人生もまたカノンと同じように、限りがあるんだとリアルに感じたとき、もうこれ以上嫌なことを我慢したり、どうしても合わない人と無理に付き合って不毛な時間を過ごしたり、色んな言い訳をして自分のことを後回しにしながら生きている場合ではない!と強く思いました。

残りの人生は自分を大切にして、自分が幸せを感じられる時間の使い方をすることに決めました。

カノンと暮らし始めてから、私の砂時計は少しずつ色を取り戻していきました。

文鳥から学んだ「幸せ」とは

私は長いこと、「幸せとは、苦労して頑張ったら手に入るもので、特別でとても遠くにあって、見たこともない豪華できらびやかなもの」だと信じ、そんな見たこともないものを探し、追い求めていました。

一言で言うと、理想が高すぎたのです。(笑)

「自分には何もない」ずっとそう思って生きていた私は、カノンと暮らすうちに、とてもささやかで何気なくて、見逃してしまいがちなことに気付けるようになりました。

それは、朝無事に目が覚めること、雨風をしのげる家があること、食べるものがあること、家族やパートナー、友達がいること、会社や組織に属せること、温かい布団で眠れること・・・

充分足りている。この平凡な毎日を送れることこそが、とても奇跡的なことで、これこそが幸せだと学んだのです。

カノンもきっと、「足りているもの」に気付いているのです。何よりも今を生きていられること、ご飯があって、眠れて、留守番はあるけど、飼い主の私が家に居ればケージの外で自由に遊べること。これらに満足しているからきっと幸せなんだと。

まとめ

幸せとは、今自分がいる環境、境遇の中で「足りているもの」に気付き、それに対して満足し「感謝する心」の先に感じられるものだと思います。

「足りているものに気付く目」と、「それに感謝できる心」があれば、幸せは目の前に現れる。誰かと自分を比べたり、何かが足りないと言うことに目が向いてしまうと不満が募り、愚痴が増えて、幸せはその姿を消すのです。

幸せになりたいのなら、今自分が手にしているものに気付き、感謝する心を持つことが先決です。そうすればいつでも、だれでも、幸せになれる。

だって幸せは、もう自分の手の中にあるのだから。

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