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脱・完璧主義

文鳥×心理学

完璧主義とは

我が家の文鳥カノンは、ズッコケても着地に失敗してもまったく気にしません。そもそも結果も評価も求めていません。

私とは正反対・・・私は長いこと、「完璧主義者」でした。

今回は、完璧主義者だった私が、カノンから「ゆるく生きるコツ」を学び、完璧主義をやめることができたお話を書いてみたいと思います。

完璧主義の思考

100点でなければ、0点と同じ。白か黒か、グレーは許されない。

完璧主義者の思考を一言で言うと、この思考です。

結果がすべてで、100点でなければ意味がない!と思っています。出来て当然、知らないことがあるのは恥、失敗なんてした日にはもう消えたくなってしまう・・・そんな極端な思考を持っています。

目の前にあるすべてのものに答えを求め、「正解」と「間違い」の箱に振り分けないと、一歩も前に進めない・・・私もそんな人間でした。

それは自分にだけでなく、他者へも同じでした。

「あの人、こんなこともできないんだって。よくそれで生きてきたよね」と、今思うとなんて恥ずかしいぐらい上から目線な発言を、堂々としていたのです。

人は耐えがたい苦しみや、大きなストレスを受けたとき、脳が「このままでは壊れてしまう」「耐えられない苦しみだ」と判断すると、自分の心を守るために無意識に適応しようとするメカニズムがあります。

心理学用語では「防衛機制」と言われていますが、この時の私は、自分の欠点や完璧でない部分を認めては耐えられないから、他者の欠点を強調することで、無意識に自分の欠点を隠そうとしていたのでしょう。

問題は、「本人が無意識である」ということと、無意識がゆえに周りに指摘されても認められなかったり、なかなか自分で「私は完璧主義」と気付けないことだと思います。もし自覚していたとしても、それを「素晴らしいこと」と思っていて、知らないうちに溜まっていくストレスに気付けなかったりもします。

完璧主義になりやすい人

完璧主義になりやすい人は、もともと生まれ持った性格や気質、失敗して笑われたり恥ずかしい思いをした過去の経験など、いろんなことが要因になりますが、育った環境も影響すると言われています。

私は、親に褒めてもらった記憶がありませんでした。

「よく頑張ったね」「えらいね」の言葉が欲しくて、いつも頑張っていましたが、どれだけ頑張ってもその言葉はもらえませんでした。

あるとき、両親もまた自分の親から褒められた経験がないことを知りました。

今でこそ、母も褒めるタイミングや褒め方が分からなかったのかもしれないと思えますが、私はそれ以降も母に褒めてほしい、認めてほしいという欲求を止められませんでした。

いつしか私は完璧を求め、自分の信じる常識や自分の思う正しさを集めて、その物差しで他者をも測り、他者にも自分と同じ常識や正しさを求め、それが合わないと相手を全面的に否定し、とても迷惑をかけていたと思います。

これは私個人の経験ではありますが、親から褒めてもらえない環境で育つと、本人の性格によっては完璧主義に陥りやすくなります。

完璧主義のメリットとデメリット

「〇〇さんは完璧主義だよね。すごいよね!」と、時として褒め言葉としても使われるように、完璧主義は必ずしも悪いことばかりではありません。

完璧主義には、以下のようなメリットがあります。

  • 仕事に対して真面目で責任感がある
  • 勤勉で努力家
  • 信念を貫く勢いや強さがある

自分なりの効率化を目指し、仕事に一生懸命で妥協をしません。細かいところに気付くことも得意です。ダメなものはダメ!良くも悪くも融通は利きませんが、ルールや自分が信じるマナーを守ります。

その一方で、デメリットは主に以下の点があげられます。

  • 知らないうちにストレスを溜めて気付けない
  • 違う価値観や意見を受け入れられず人間関係に悪影響が出やすい
  • 視野が狭くなりがち

自分の信念を貫き、一生懸命まじめに取り組み、頑張れるという点では素晴らしいことですが、時にそのパワーは心も体も、人間関係も壊してしまいがち・・・行き過ぎは注意が必要です。

かと言って意識してほどほどに頑張れるのであれば、それはもう完璧主義ではないですし、本当にやっかいですね。

完璧主義者の特徴

ここで、完璧主義の人に多く見られる傾向をまとめてみたいと思います。

  • 理想が高すぎる
  • 褒められても素直に喜べない(時に怒る)
  • 非常に細かいことにまでこだわりすぎる
  • 自分と違う価値観を認めたくない
  • 自分の価値観や常識で、人や物事を評価する
  • 尊敬する人以外の人の意見は取り入れたくない
  • 小さなミスをいつまでも気にしたり、自己評価を極端に下げる
  • 非常識やマナー違反が周りにたくさんいると感じている
  • 人に間違いを指摘されると腹が立つ
  • 自分のミスを他の何かや誰かのせいにしようと考えてしまう
  • 指摘されたミスを二度と繰り返さないよう極端な行動をとる
  • 人のミスを指摘したがる
  • 人間関係がいつもうまくいかない、長く続かない

完璧主義の人は、人一倍失敗を恐れており、常に失敗しないよう必死です。特に、一度指摘された失敗は二度と指摘されないよう「そこまでする必要ある?」と思うほど極端な行動を取ることは大きな特徴です。時に自分の仕事のやり方を「これが正しい」と押し付けてきたりすることもあるでしょう。

協調性を優先するなら、完璧主義の人には反論しないのがベターです。あなたがその人から尊敬されていない限り、意見を受け入れてくれる可能性は低いからです。一見受け入れたように感じても、実は嫌われている可能性もあります。

脱・完璧主義

次に、私がどうやって完璧主義をやめることができたのかをお話したいと思います。

無意識に気付く

鬱の診断を受けた3か月後、私はある公演の裏方の手伝いのため大阪にいて、そこでそれまで経験したことのない体調不良に襲われました。パニック症でした。

発作で一人で歩くこともできなかった私を、近くのビジネスホテルに運び込んでくれたのが、よりによって私が当時、絶対認めたくない!と思っていた人達でした。悔しくて情けなくて泣いていた私に、友達が連絡をくれました。

「また泣いてる。なんで泣く必要があるの?」と聞かれ、私は「悔しい」と一言答えました。

友だちは、「無意識で出来て当たり前と思ってるから、結果を先に出してるから、できなかったときツライのよ。結果はあとから。出来たら、あぁできた!で終わり。ひとつひとつに結果を求めて評価しないの。うまくできなくていいの。失敗していいの」と話してくれました。

当たり前にこなせるはずと思っていたことができなかった私に、何も変わらず寄り添い接してくれた友達は、「うまくできなくても、私の中であなたの評価は変わってないよ」と教えてくれたのです。

私はこのとき、初めて自分の中の無意識に気付きました。「無意識で、うまくできて当たり前と思ってる自分」に気付いたのです。悔しくて泣いた理由が明確に分かりました。

人にはみんな「無意識」があります。自分が気付いてない自分が、いまの自分を表現しています。意識できている自分の姿なんて、本当にごく一部です。

文鳥から学んだこと

うつとパニック症になって、私は「完璧な自分になること」をやっと手放すことができました。

自分自身に「さじを投げた」と言っていいでしょう。

その頃は、「私はもう二度と、絶対に何も頑張らない!」と宣言していました。まだ完璧主義がやめられていない証拠ですね。(笑)

その流れで迎えた、文鳥カノン。

冒頭にも書いたように、カノンはちょっとした失敗は気にも留めません。できないことを無理してやろうともしません。自分の能力をよく知っていて、その範囲で精いっぱい生きています。

私はカノンを見ていて、彼に対して次の3つのことを感じました。

  • 自分ができることとできないことを理解し、受け入れている
  • そもそも完璧を求めておらず、日々を楽しんでいる
  • 他者(飼い主)の個性を認めて受け入れている

もちろん、ヒナの頃は狭いところから床に降りようとして、羽を広げられず落ちたこともあり、そうやって身の危険を感じた失敗はもちろん忘れません。自分の身の危険に関わることに関しては当然別問題です。

私たちも、命の危険に関わることや、仕事などで重要な業務に取り組んだときの失敗などは反省し、より注意をするようになりますよね。

でも、100点でなくても生きていけます。ちょっとぐらい失敗したって、あなたの状況や評価は変わりません。もし、それであなたの評価が変わったのなら、原因はあなたにではなく、その評価をした相手にもあるのかもしれません。

脱・完璧主義

そうして私は、やっと以下のことに気づくことができました。

  • ダメな自分でも楽しく幸せに生きている
  • 世の中に完璧なんて存在しない
  • 世の中には自分が知らないことが山ほどある

ひとつ目は、「ダメな自分でも、楽しく幸せに生きていける」ということです。

ダメな自分では生きていられないと本気で思っていた私ですが、そんな「ダメな自分」を許して受け入れてあげられただけで、目の前が明るく、楽しく過ごせるようになりました。

2つ目は、「世の中に完璧なんて存在しない」ということです。人間そのものが未熟な生物だということ。

3つ目は、「世の中には自分が知らないことが山ほどある」ということ。同時に、どんなに立派な人にも「知らないことがある」ということ。できないことや知らないことは、恥ずかしいことではないことを知りました。

これらに気付いてようやく、私は完璧主義をやめることができました。

他者の意見や価値観を受け入れ、「そういう意見もあるんだね」と素直に思えるようになり、また自分ができないことは周りに訊ねたり、頼れるようになりました。

完璧主義をやめてから

私は完璧主義をやめてから、自分の能力を知りたいと思い、心療内科でIQを測るウェクスラー知能検査(WAIS-Ⅳ)を受けたのをきっかけに、交流分析(TA)を受けたり、遺伝子検査もしてみました。

これによって、自分の得意・不得意・性質・体質などを的確に知り、「妥当な自己評価」ができるようになり、無駄なストレスからも解放されました。

自分の能力を知る方法は他にも色々あるかと思いますが、私は目に見える形=可視化することが自分に一番合っていました。

まとめ

今回は、私の経験を中心に「完璧主義」についてお話してみました。

完璧主義をやめた私は、勢いがなくなりました。何かを信じて立ち向かう勇気や、なんとしてでもやり切ってやる!というパワーは半減したと自覚しています。でもだからこそ常に過剰だったストレスや、人間関係のトラブルも減り、幸福感や協調性は向上しました。

とはいえ、今も時々、完璧主義な自分に戻ってしまう時もあります。それもまた自分ですね。

完璧主義をやめたい!と思われたときは、まず「完璧な人なんていないよ。みんなも失敗をするよ」ということ、そして「失敗してもいいんだよ」と自分を許し認めてあげると気持ちが楽になれます。

もしいつか、ストレスや生きづらさを強く感じたとき、その原因を考えたときは「無意識=自分が知らない自分と向き合う」チャンスです。

何故悲しいのか、何故悔しいのか、何故嬉しいのか、何故こだわってしまうのか・・・感情や「なんとなく」は理由とは言い切れません。

私たちの感情や行動の水面下には「無意識」があり、その無意識の中に、とても明確な理由が存在しているのです。無意識は「あなたがまだ知らないあなた」であり、その中には「あなたが認めたくないあなた」も含まれています。

だからこそ、自分と向き合うことは簡単なことではありませんが、じっくり時間をかけて、少しでもストレスや生きづらさを解消していけるといいですね。

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